阿部道場 ブログ




Vol.'20-04.1

 【No 0222】 [2020年04月23日(木) 18時30分43秒]

「ブログの配信について」



 ブログの定期配信をやめ、不定期配信にします。
 ブログ配信の回数は、減ると思います。

 その代わりといっては何ですが、今後は、阿部道場のフェイスブックページに、会員さんにオススメの練習や情報について、気が向いた時に投稿していきます。



 道場は、予定表通り、開けています。
 練習参加は、自己判断でお願いします。

 国民への外出禁止命令等が出て、物理的に開けるのが不可能になるまでは、当面道場を開け続けます。



 さて、コロナウィルスについてのマスコミ報道ですが、マスコミの国民に対する姿勢も、国民側のメディアテラシーも、戦前から全然変わらないなあ、と。
 報道って、ずっと流し続けると、それが空気となり現実となり、その作られた現実の中身を誰も疑わなくなるんだなあ、とあらためて。

 コロナ報道について、これ以上言及するのは避けます。
 過去のブログで代弁します。
 2006年12月、2015年7月、2016年7月、2017年7月、2018年5月、2018年10月のブログに、マスコミに対する思いを書いています。



 それでは、フェイスブックページで、会いましょう。

「阿部道場」のフェイスブックページに、「いいね!」をよろしく!

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'20-03.1

 【No 0221】 [2020年03月27日(金) 20時10分55秒]

「掌底と手刀は手根骨を当てる」



 掌底は、手の平下の方を何となく当てている。手刀は、手の平側面の小指側を何となく当てている。ピンポイントで当てなきゃいけないの?って人の方が多いでしょうかね。
 そもそも、掌底や手刀は、格闘技の試合で使わないので、みんな興味ないかな。



 格闘技やってる人でも、「手根骨」と言われて、ピンとこないかも知れません。
 手根骨とは、手の平の最下部、手首付近にある、ひと固まりになっている8つの短骨の集まりです。短骨って、積木状の小さな骨のこと。

「掌底、手刀を、前腕の骨である尺骨の先端を当てる」と説明する方もいますが、おそらく、この手根骨と尺骨の先端部を混同しているのでしょう。
 当てるのは、手根骨であるべきです。



 掌底や手刀で当てる手根骨について、もう少し詳細に述べます。

 打撃で相手を倒したい時は、体重移動のエネルギーを衝撃として相手にぶつけますから、衝撃を伝える媒介物としての骨を、まず当てることになります。
 そこで、実際に当てる骨が、手根骨の中のどの短骨なのか、チェックしてみましょう。



 まず、掌底について。

 結論から言うと、手根骨の中の短骨の一つ、「豆状骨」を当てます。
 というか、掌底を当てようとすると、一番出っ張っている豆状骨が当たります。

 豆状骨の位置を説明します。
 手の平を自分に向けた時、手の平小指側の一番下隅に、豆状の出っ張りが確認できると思います。
 グリグリ触ってみてね。丸い出っ張りがあるでしょ。それが豆状骨。

 手根骨の中で、一番小指側にある短骨は三角骨ですが、その三角骨の表側にポコっと小さな豆状の短骨がくっ付いており、それが豆状骨です。字のまんま。
 表から手根骨を触った時に、豆状骨はかなり出っ張っていることを確認できます。

 掌底を打つ時は、手の平を相手に向けて、前腕を真っすぐ伸ばしますが、そうすると骨格の構造上、手の平小指側の方が親指側より、少し前へ出るはずです。
 そのまま、掌底を当てようとすると、小指側最下部で出っ張っている、豆状骨が当たります。
 掌底で豆状骨を当てた時、豆状骨のすぐ後ろが前腕部の尺骨であり、あとは上腕骨、肩甲骨、体幹部という並びで、体重移動が衝撃として伝わります。



 それから、手刀について。

 手根骨を小指側横から触った時は、短骨の一つ「三角骨」が一番出っ張っています。三角骨の表側にくっ付いている「豆状骨」も同じくらい出っ張っています。
 ただし、手の平の真横を当てようとすると、手根骨を単独で当てるのが難しくなります。
 小指の中手骨や前腕の尺骨先端部に比べて、その間にある手根骨が、しっかり出っ張ってはいないのです。

 手刀を放つ時、手を刀に見立てて手の平真横を当てようとすると、小指の中手骨が当たります。
 ただし、細い棒状の中手骨を横から当てても、とても脆く、衝撃を伝えることは難しくなります。
 また、手首付近にある三角骨を横から当てようとすると、角度によっては前腕の尺骨先端部が邪魔になりがちです。

 そこで提案したいのが、三角骨の表側にくっ付いている、「豆状骨」を当てることです。またもや豆状骨のご登場!
 豆状骨で当てたい時は、手刀をやや斜めにして放ち当てます。

 例えば、右手刀を打つ時は、手を中心線上辺りから放つ場合、手の平を下に向けた状態で対象へ当てますが、手刀の親指側をやや下げ、小指側をやや上げるようにします。
 上記の角度で手刀を当てると、対象へ当たる面で一番出っ張るのが豆状骨になり、豆状骨がピンポイントで当たります。
 豆状骨で手刀を当てれば、体重移動を利用することが可能になります。



「豆状骨」への意識を高めたいのでしたら、ミットやサンドバッグを掌底や手刀で打つだけでは足りません。
 柔らかい物を打っても、骨の感触が無いため、力の流れを理解しにくいのです。

 固くて分厚いコンクリートのような、固い物質に打ちつけないと、身体が理解しない、と思います。
 掌底や手刀をコンクリートに、怪我しない程度にガンガン打ち込んで、実際に当たる場所である豆状骨について、意識を高めておきましょう。

 私は、住んでいるマンション階段の、コンクリートの壁に、掌底や手刀を打ち込んでいます。
 マンションなどの壁を打つ時は、人の迷惑にならない場所と時を選んで打ち込みましょう。
 誰かに目撃されたら、不審者と思われちゃいますから、気を付けましょうね。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'20-02.1

 【No 0220】 [2020年02月25日(火) 19時43分56秒]

「若者への役に立たない金言」



 私も年齢は47才で、とっくに中年です。
 精神年齢はガキンチョのままですが、それなりに人生経験は積みました。

 で、人生経験がまだ浅い若者へ、「若者の読者なんていないだろう」というツッコミを無視しつつ、大して役に立たない金言を2つ放ちます。
 今回の無責任な言葉により、被害が生じたとしても、何も保証はせんけどね。
 自己責任で、勝手に参考にして下さい。



「人をチェックする簡単な方法」

 ある人を、どんな人かチェックしたい時は、店などへ一緒に行き、その人が店員にどう接するかを見る、といいです。
 あなたに優しく接していても、店員に対してはエラそうな態度で接するとするならば、店員への態度の方が、よりその人の本質に近いと思われます。

 例えば、出会ったばかりのカップルがいたとしましょう。
 男性が、女性には優しくしているとしても、店員には冷たい態度と口調で接しているとするなら、数ヶ月後にはカップルの女性も、店員と同じ目に会う確率が高い、ということになります。

 日本では、店員より客の方が立ち場が上、という変な常識がまかり通っているため、客から店員への接し方に関しては、自由度が高くなっています。
 店員は丁寧に接するのが当たり前ですが、客の方は店員に対してどんな態度で接しても、実質OKです。
 よって、チェックしたい人の、客として店員に接する時の態度を見ておけば、その人の本質と言いますか、人間性をかなり把握できるでしょう。

 まあ、コンビニのレジなんかに注目してみて下さい。
 日本って中々すばらしい国で、7〜8割の人は、店員に中々の態度で接しています。
 無言でアッチの方角向いている人が一番多いですが、命令口調だったり、商品や金をポーンと放ってみたり、と、さすが世界に冠たるニッポン!

 レジで精算してくれた相手に、「ありがとう」の一言も、言わないんですからね。
 レジの人は、奴隷やロボットじゃないんだけどね。

 このチェック方法は簡単ですし、まあまあ精度が高い、と思っています。



「逃げることは、逃げではない」

 今いる組織が面倒になったら、今ある状況が苦しくなったら、逃げることも選択肢に入れましょう。
 日本の常識は、「苦しくても逃げるな」ですが、苦しくなったら逃げりゃいいんです。

 逃げたくなった時、誰かに相談したら、たいていの日本人は「逃げないで、がんばれ」ともっともらしく言いますが、そんないい加減な言葉より、自分の感性を信じましょう。
 例えば、ウツになったり、酷い場合には死にたくなっても、逃げない日本人は多いのですが、私に言わせれば、バカげています。

 逃げたら、みんなに迷惑がかかる?
 自分を買い被り過ぎです。
 あなた1人いなくなったくらいで、会社や学校などの組織も誰も困りませんから、キツくなったら自分で判断した後、自分の都合を最優先して、遠慮なく逃げて下さい。

 日本で、「苦しくても逃げるな」が常識になっている理由?
 日本の教育は、「強いものには巻かれろ」「規則、教科書、マニュアルを一言一句間違わず暗記しろ」「自分の頭で考えるな」となっており、官僚や企業にとって都合の良い、使い捨ての人材を作ることに特化しています。
 その偏向教育が、成功しているのでしょうか。戦時中と大して変ってねえ。

 例えば、企業が従業員と実質の奴隷契約を結んでいる場合、従業員が自分の頭でふつうに考えてしまうと、何かあった時すぐに辞めてしまいます。
 何も考えず、だまって規則に従ってもらった方が、従業員を奴隷として扱い続けたい企業にとって都合が良いですし、その元締め的存在である官僚にとっても都合が良いのです。

 まとめると、苦しくなって、どうしても逃げたくなったら、いったん逃げて体勢を立て直し、また立ち上がりたくなった時に、別の場所で立ち上がればいいんじゃないでしょうか。
 逃げる時の鉄則は、「自分の頭で考える」です。

 ただね、「苦しいから逃げようか」って時って、心身ともに追いつめられていることが多いですから、「自分の頭で考える」こと自体のハードルが高くなっていたりします。
「自分の頭で考える」のは、心身ともにタフであることが前提なんですよね。

 心身をタフにする、手っ取り早い方法って何だろう?
 そうだ、阿部道場に入会して、心身の鍛練をするとイイかも!


阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'20-01.1

 【No 0219】 [2020年01月27日(月) 20時10分51秒]

「おすすめの一人練習」



 おすすめの一人練習を、いくつか紹介します。

 一人練習の目的は、ズバリ、強くなることです。
 強くなる、の定義? まあ、適当にどうぞ。

 一人練習して、強くなりましょう!



「1分呼吸」

 感性の空手家、柳川昌弘先生が、この呼吸法を本で紹介していました。

 鼻のみを使って、呼吸します。
 20秒吸って、20秒止めて、20秒出します。
 以上、合計1分の呼吸をくり返します。

 初めての人は、息がかなり苦しいはずです。
 慣れるまでは、15秒ずつの45秒呼吸、もしくは10秒ずつの30秒呼吸でもいいでしょう。

 1分呼吸に慣れて、30分くらい続けてできるようになると、感性が冴えてくる気がします。とりあえず、暗闇への恐怖がなくなり、平気になりました。
 息苦しさが、感性を刺激するのでしょうか?

 私は、移動稽古をしながら、この1分呼吸をやっています。
 ずっと続けていれば、柳川先生みたいに背後の気配が読めるようになるかもね。
 がんばろ。



「バットダンベル」

 バットダンベルは、野球のバットを太く短くした形のダンベルです。
 握る所から重心がかなり離れていますから、持つだけでズシリときて、実際の重量より、かなり重く感じます。

 ふつうのダンベルだと10kg位は軽々と持てるでしょうが、バットダンベルの10kgはズシリと重く、持ち上げるだけで大変です。
 今、私は、12.5kgのバットダンベルを振り回していますが、ちょっとやってると、すぐに手が悲鳴をあげます。

 手で握って持って、外見的には腕を動かして振り回しますが、効く部位は全身です。
 もちろん、握る手や前腕が一番効きますが、全身の協調が無ければ、とても振り回すことなどできません。

 例えば、バットダンベルを上に振り上げる瞬間は、握っている手に、全身がつながり合わさった力を集めます。
 末端から全身に働きかけた瞬間、全身の力が末端へ跳ね返るようにしますから、慣れてくると、手や腕に力を入れた感覚がほとんど無いままに、実に軽々とバットダンベルが振り上がるようになります。

 分かりやすい言い方にすると、全身の反動をしっかり使います。
 慣れてきたら、目に見える反動の動作を消していき、身体の内部感覚で反動を使うようにし、外から他人が見ても反動を使っていることが分からないようにします。

 結果として、体重をのせる突きの習得にも役立ちます。
 バットダンベルで学ぶのは、瞬間における全身の協調なのです。



「上段蹴り止め」

 上段回し蹴り、もしくは上段横蹴りの要領で、片脚を高く蹴り上げ、頂点で止めて、体幹に負荷をかけて鍛えます。
 蹴りの動作は、ゆっくり行います。

 片手で壁を持つなどして、バランスを取りながら、片脚を高く蹴り上げて、ちょうど頂点で脚がまっすぐ伸びた状態で、しばらく止めて下さい。
 止める時は、お尻の部分である股関節が、側面から見て曲がらないよう、まっすぐ伸ばします。

 止めるのがキツい人は、出した脚の膝裏上辺りに、同側の手を当てて支えます。
 頂点で止めた所から、さらに高い所へ足を上げるための補助としても、支えの手は役に立ちます。

 体幹の腰回りから、脇にかけて、深層部も含めて鍛えられます。
 また、壁を持つ手を外すと、難易度は一気に上がりますが、同時にバランスも鍛えることができます。

 フルコン空手や、伝統空手、テコンドーなど、蹴りの破壊力、美しさに定評のある格闘競技のトップ選手は、だいたいこれに似た練習をしています。
 昨年秋から、阿部道場の少年部で、この練習をさせていますが、割と短期間で、上段蹴りの軌道が美しくなってきました。



「型」

 空手家を名乗る人は、必ず型をやっています。
 と、言いたいのですが、日常的に型で鍛錬している空手家は、残念ながら少数派です。

 私はナイファンチをやっています。
 ナイファンチで、重心を操ることを学んでいます。

 自分なりに型の意味を理解して、やっていれば、きっと強くなります。
 ガタガタ言ってないで、空手家は型をやりましょう。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'19-12.1

 【No 0218】 [2019年12月17日(火) 19時44分27秒]

「手合せ稽古会楽し過ぎ」



 今年の〆にと、12月15日の敬天愛人手合せ稽古会に参加するため、東京へ行ってきました。
 敬天愛人手合わせ稽古会とは、菊野克紀選手が主催している、路上の戦いを想定したライトスパーリング大会です。

 手合せ稽古会の特徴は、1分という短い時間の手合せを、できるだけ多くの人とこなすことで、膨大な経験を積もう、というものです。
 手合せ稽古会の経験をどう生かすか、といった部分は当然個人によって変わるでしょうが、膨大な経験を積める、の部分は参加者全員に共通しており、きっとすばらしい経験となるでしょう。

 約2年前から参加しはじめて、東京での手合せ稽古会は、3回目。
 大阪、博多、鹿児島でも1回ずつ参加していますから、手合せ稽古会は計6回目の参加になります。

 地方によって参加メンバーも変わり、微妙にやり方が変わりますから、馴れ合いが過剰になることを嫌う人は、違う都市での手合せ稽古会にも顔を出してみるといいでしょう。



 東京の手合せ稽古会は、東京だけに、集まる人の絶対数が多いですし、またバラエティに富んだ人達が集まります。

 中国拳法、日本拳法、相撲、空手でもフルコンから伝統派まで、色んな人達が集まりますので、固定観念に縛られない戦い方を学ぶことができます。
 今回も、良い意味で香ばしい面々が集まっていました。

 若い方もいますが、どちらかというと私のようなオッサンの参加が多いのも、この稽古会の特徴です。
 オッサンは人生を重ねる中で、何某かの一家言を持つようになりますが、手合せをする中で、お互いの一家言を紳士的にぶつけ合うのです。

 オッサン同士による、生き様の紳士的なぶつけ合い、それがこの稽古会の醍醐味と言えましょう。
 参加されたみなさんもそうでしょうが、私は醍醐味をしっかり堪能しました。お腹いっぱい。

 最も強力な一家言を持っているのは、やはり、この稽古会を主催なさっている菊野選手でしょう。
 ライトスパーリングではありますが、その凄みは、菊野選手の前に立つと、誰もが本能的に感じることになります。
 ライトスパーリングで良かった・・・。

 今回も、すばらしい経験になりました。
 感謝ですね。



 手合せ稽古会の後、大学の空手道部で一緒に汗を流した、一つ上の構さん、同級の中橋と飲みました。
 2人には、手合せ稽古会を見学してもらって、終了後、体育館近くの人形町で、一緒に飲むことにしていたのです。

 2008年にブログで書いた、四ツ谷駅乱闘事件の時と同じメンバーだったものですから、飲む前から、「何かが起こる」という期待感が高まっていたのですが、残念ながら何も起きませんでした。
 我々も大人になった、ということなのでしょうか。あれから30年だからね。

 伝説の「逆突き三連打」の再現は、次回にお預けとなりました。何年後になるかなあ。
 2人を焚きつける作戦を、今から練っておくとしましょう。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'19-11.1

 【No 0217】 [2019年11月23日(土) 09時53分20秒]

11「日常生活で集中力を高める」



 大層な話ではありません。

 日常で誰もが、毎日のように行っている動作に注目し、「その動作を丁寧に正確にやってみよう、そしたら集中力アップするんじゃないかね」、ってだけの話です。

 日常のなんでもない動作ではあるものの、集中力アップのために注目すると良いかもね、って動作を2つ紹介します。



 1つ目。
「ボタンを押す」

 エレベーター等のボタンを押す時、正確にボタンの真ん中を押すようにします。

 けっこう、いい加減に押してないでしょうか。
 時には、いい加減過ぎて、上か下の階のボタンも、一緒に押してしまったりしてませんか?

 ボタンを押す直前の瞬間に、スローモーションになって、確実に真ん中を押すようにします。
 ゆっくり丁寧に動くことがポイントです。
 真ん中を確実に押すことができるようになってきたら、少しずつ早く押すようにすれば良いですが、丁寧さは保ってください。



 2つ目。
「鍵を差す」

 鍵穴に鍵を差す時に、正確に一発で差さるようにします。

 けっこう、いい加減に差していませんか?
 一発で鍵穴に入ることなく、鍵穴回りの金属部分であるシリンダーに、2〜3回くらい鍵の先端が当たっていませんか?
 シリンダーならまだいい方で、さらに外れて、鍵の先端で玄関ドアの塗装を削ったりしていませんか?

 一発で、鍵が鍵穴に差さらないのは、丁寧に正確に動作していないからです。
 鍵を差す直前の瞬間に、スローモーションになれば、誰でも一発で入れることができるようになるでしょう。



 日常のありふれた動作が雑にならないよう、細部まで正確に行いましょう。
 丁寧に動作する事自体が、集中力アップにつながるようにしたいのです。

 集中する時には、拡散する感覚を持つことと、何かに焦点を合わせることとのバランスを、自在に操ります。
「鍵を差す」でいえば、ドア全体が見えていながら、同時に、鍵穴に焦点を合わせつつ動作します。



 日常の動作で集中力を養っていくことは、「突きを正確に当てる」につながります。

 沖縄拳法空手では、親指と人差し指で、ご飯粒を取るように突きを出します。

 私は、人差し指で、指差すように突きを出す、を試しています。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'19-10.1

 【No 0216】 [2019年10月29日(火) 19時34分38秒]

「武道野郎 必読の3冊」



 今年読んで感銘を受けた本の中で、当ブログ読者のみなさんにもぜひ手に取っていただきたい本を3冊、勝手に紹介します。
 著者や出版社とは、何の利害関係もありません。



『突き』 山城美智著

 ブログで何度か言ってますが、山城先生は最高の空手家です。私が知ってる限り。セミナー何度か受けました。そろそろセミナーやめるかも?みんな今のうち行っとこう。
 武道、武術、格闘技をやってて、突きを強くしたい人は必読。極意の宝庫です。

 なぜか、メジャーな出版社からの出版ではありません。よって多分、本屋に置かれてません。私は通販で買いました。
 近年、武道、武術、格闘技関係の本は、バンバン出版されていますが、大手出版社が山城先生に目を付けてないのかな?それとも、山城先生が、大手ではない出版社に、何らかの義理を通してる?

 突きの威力を上げるために必要な、物理的な原理の説明が明確です。氣だとか、宇宙の力を借りるとか、不思議系な説明は一切ありません。
 重心移動と遠心力を利用しますから、重力や慣性力といった宇宙の物理法則に則った力を利用しますので、宇宙の力は借りてるのか?!

 突きの威力を出す原理を、重心移動と遠心力で説明しています。
 身体を細分化して捉えた時、先端部である指先の、小さな重心から動かし始めた方が、よりスムーズに重心移動を利用できます。マニュアル車で言えば、ローギアで発進してシフトチェンジしていき、スムーズに走り出すようなもんです。
 また、身体からタワミを消し、手先から動き出し、腕を前へ出すことで重心も前へ移動させ、仮想の回転軸を身体の外へ出せば、全身が振り回される遠心力も働きます。

 一般的には、突きの動作で、身体の中心に回転軸を残したまま、腰というか骨盤の回転を起こし、その回転力を末端の拳に伝えて行く、ということになっています。
 ですが、重心移動と遠心力を最大限に活かすのでしたら、手先から動くことに優位性があります。

 また、手先から動くようにすると、身体の中心である体幹部が動き始めるのは、腕が伸びた後になりますから、こちらが動いたと相手が認識しにくく、結果として相手の反応が遅れます。
 で、宇宙の力を借りた突きが、「ドン」と衝突します。



『間接護身入門』 葛西眞彦著

 著者は元警官で、豊富な実体験や過去の暴力事件を元に、護身術を体系的に説明しています。
 実際、「こう襲われたら、どう反撃する」といった直接護身より、本で紹介してある間接護身をしっかり身に付けておく方が、現実問題として、はるかに役立つでしょう。

 自分に悪意を持つ相手が暴力などの行動に出る前に察知して回避する、または相手が暴力的行動に出ないように習慣的に配慮し、そして危険な人物との縁を深くしない。
 それが、間接護身です。

 危険人物の見破り方としては、人相、目線、しぐさ、話し方、声、服装、臭い、等から違和感のある人間を見つけます。
 違和感を覚えたなら、その危険人物の疑いがある人間から、念のため離れるようにします。

 路上暴力の実際についての説明も、的確です。
 本気で殺しにかかってくる人間に、不意を打たれるのが実際の路上暴力であり、予定調和の中行われる道場での護身術を覚えたからといって、実際の場でそのまま実力を発揮できる、とは考えない方が良いのです。

 また、せっかく護身術を身に付け、襲ってきた相手を撃退できたとしても、その相手がケガをした場合に、今度は相手から逆に、刑事、民事とも訴えられる可能性が出てきます。
 護身術は、「暴漢に反撃してやっつけて、ハイ終わり、めでたしめでたし」、とはいかないのです。

 用意周到な著者は、武器を持った明確な殺意を持った相手が襲ってきた時の備えとして、催涙スプレーの所持をすすめています。
 著者は、自宅の何カ所かに、催涙スプレーを設置しているそうです。運の悪い強盗が著者宅に侵入しようものなら、地獄の苦しみを味わうことになるでしょう。



『張力で動く』 JIDAI著

 国籍不明な名前ですが、日本人です。仙人のような見た目と動きです。
 パントマイマーで、身体の使い方の指導もされています。

 著書名になっている「張力」とは?
 相反する力を同時に成立させるのが、張力です。

 例えば、両腕を伸ばして指先同士をくっつけた状態の時、指先同士を押し付け合うだけにするより、押し付け合いながらも同時に引き離そうとする方が、指先同士のくっつく力が強くなります。
 それも、後者は、力感が少ないにも関わらず。

 これが、張力のなせるワザです。
 身体を様々な側面から内観していき、エネルギーの通りを良くして、張力で動ける身体を目指すのです。

 武道野郎なら誰もが望む、強い突き蹴りを得る方法として、「肘や膝から動く」というやり方が紹介してあります。
「肘」「膝」から動かそうとする方が、外見的には手先足先の動きにみえますが、結果として体幹部がしっかり働き、手や足といった末端部へ力感なく強いエネルギーを通すことができ、強い突き蹴りを放つことができるようになります。

 ですから、教える側は、「結果の状態を指示する」のではなく、「結果を引き起こす方法」を伝えるのがベターなのでしょう。

 結果を引き起こす方法は、人によって違いますし、同じ人でも成長のどの段階か?で、違ってはきますけどね。
 そこを見極めるのが上手い人が、高いレベルでの教え上手ということになりましょうか。私も、そうありたい。

「張力」のことも頭の片隅において、私も仙人を目指そうかな。見た目の方じゃなくて、動きの方ね。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'19-09.1

 【No 0215】 [2019年09月28日(土) 11時10分54秒]

「暇を楽しむ」



 暇な時間を、苦痛に感じてしまう人は多いです。

 何もしていない、ぼんやりしている時間を不安に感じてしまい、信号待ちや人を待っている数分程度でも、とにかく何かをしようとします。
 今だと、多くの人が、何となくスマホを手にして、イジッている感じでしょうか。



 ところで、暇な時間の過ごし方の解釈は、啓発の世界では2つの流派に分かれています。

 1つは、暇な時間はもったいないので、少しでもスキマ時間ができたら、自分にとってプラスになることをやるべきだ、という流派。
 暇な時間に、そのままボーッとしていてはもったいない、という考え方です。
 例えば、ホリエモンさんのような支配層に近い人は、少しでも時間が空いたらスマホで情報をチェックし、自分をバージョンアップさせることをススメています。

 もう1つは、せっかく何もしなくて大丈夫な時間なんだから、ぼんやりしておけばいいんじゃない、という流派。
 暇な時間に、何もしないでボーッとしていることを、肯定する考え方です。
 私は、こちらよりの考えですので、以下、「ぼんやりしよう」という方向性で説明していきます。



 ということで、まずは、暇な時間に耐えることができる能力を養いたいものです。
 多くの人は、暇な時間に耐えることすらできていません。

 ちょっとでも時間が空いたら、反射的にスマホを眺める、家の中だとテレビを見る、の状態の人が多いでしょうが、その状態から抜け出しましょう。
 何もしない時間を意識的に増やしてみて、少しずつ暇に慣れていきたいのです。



 そこから、さらに進化して、暇な時間を楽しむ能力が身につけば、しめたものです。

 表面の意識を静かに保とう、とし続けます。
 意識を静かに保とうとしても、色々な想いが勝手に浮かんできますが、そのままにしておきます。

 浮かんできた想いに対し、感情的に反応するのをやめると、浮かんできたその想いは消えていきます。
 また勝手に、別の想いが浮かんできますが、同じく他人事のように眺めていると、その想いも消えていきます。

 これは、いわゆる、ぼんやりしている状態ですが、その状態こそ、「快」とは思えないでしょうか?
 この状態を「快」と感じるようになれば、あなたはもう、ぼんやり上級者です。



 ぼんやり上級者は、浮かんでくる想いの数々に、一々とらわれなくなります。
 そして、ぼんやりしている暇な時間を楽しめるようになり、頭は勝手に整理されていきます。

 何かにひらめいたり、考えがまとまったりするのは、暇な時ぼんやりしてて、ということが多いです。
 もう少し言うと、「何か」について、集中的に考えに考えた後の、ぼんやりしている時間に、良い考えがひらめいたりするものです。

 浮かんでくる大量の想いの中に、時々お宝が眠っている、って感じでしょうか。
「お宝」って、自分にとってのお宝のことですからね。他人や社会の基準ではなく、自分基準でお宝を設定しといてね。



 暇を楽しむ時のような精神状態は、格闘技や武術でも重要になってきます。
 心身を静かに保った状態でなければ、戦う時に良い動きはできません。

 意識は静かに保たれ、身体に余計な力みがなく、適度に張りが保たれている状態にしたいのです。
 相手に同調するかのような動作ができるのは、そんな時です。

 同調を体験するのにオススメなのは、達人の日野先生もセミナーでやっていた、「見つめ合った相手から突きを顔に放ってもらい、その突きに対応する」という練習です。
 うまくいくと、相手の突きへの反応というより、同時もしくは事前に動く、「同調」を体験できます。多分、誰でも。

 同調が少しでも分かるようになると、格闘技、武術が、がぜん楽しくなってきます。
 相手を力づくでやっつけることよりも、相手との同調がうまくいった時の方が、はるかに面白いですよ。

 私はまだ同調の初級者ですが、同調の面白さを味わうためにも、表題の「暇を楽しむ」を、日々真剣にやってます。
 単に、なまけ者なだけ、ってワケじゃないのです。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'19-08.1

 【No 0214】 [2019年08月29日(木) 06時07分29秒]

「空間の共有」



 日常を、快適に過ごしたいのです。

 ですから、イヤと感じる人の近くに居続けて、同じ空間を共有したあげく、こちらの感情を乱され続ける、といった状態を放置などしたくありません。

 どんな人と一緒にいようが全然平気、っていうほど、私は聖人ではないんですよね。




 例えば、同じ方向へ歩いている人の中に、「イヤだなあ」と少しでも感じる人がいる時は、できるだけ同じ空間を共有しないで済むように、歩くスピードを調節して、その私にとってのイヤな人から離れるようにしています。

 イヤな人が早く歩いているのでしたら、ゆっくり歩いて離れ、イヤな人がゆっくり歩いているのでしたら、早く歩いて離れています。

 場合によっては、空間をシッカリと区切るために、歩く道を変えることもあります。


 私にとってのイヤな人とは、歩行者で言えば、こんな人です。


 まず、怒っている人。

 歩き方や表情に怒りが表れている人は、その怒りをこちらへぶつけてくるかも知れません。
 そんな人の近くで、歩きたくありません。

 まったく関係無い人からの、怒りの影響を受けたくないんですよね。


 また、近くにいる人達に全く配慮できない人。

 人通りが多い幅広の道で、道の方向に対して斜めに歩いていたり、進行方向を突然変える、といったことを、回りへの配慮無しに行っている人はイヤですね。
 ガキじゃあるめえし。

 傘などを、腕の振りに合わせて、大きく振り回しながら歩いている人もたまにいますが、こういった人もアウトです。
 後ろの人に刺さったら、どうするんかね?

 何日もシャワーを浴びていないのか、臭いが酷く強い人にも困ったものです。
 この手の人は精神がヤラれている場合が多いので、苦情を言うわけにもいかない。


 イヤと感じる人から、不快な行動や感情の悪影響を受けたくありません。
 よって、運悪く、私にとってのイヤな人に出会った時は、フェードアウトするように距離を開けていき、離れるようにしています。


 道で出会っただけの人ですから、注意するほどのことではありませんしね。
 また、私がイヤと感じているだけのことで、他の人からしたら問題ないのかも知れませんし、ひょっとしたら、イヤと感じてしまう私の方に問題があるのかも知れません。
 よって、例にあげたイヤな人に、もし自分が当てはまっているとしても、まったく気にしないでくださいね。




 車を運転している時でも、イヤな運転をする車からは離れるようにしています。
 私にとってのイヤな車とは、こんな車です。


 まず、怒りを発散させているような運転の車。
 急発進、急停車、幅寄せなんかですね。
 ファミコンのレースじゃないんよ。

 後ろから、車間距離をつめてくる車。
 あおり運転の一種で、よく見かけますが、非常に危険です。
 これ、悪気無くて、単なるクセで、無意識にやってる人もけっこういる気がします。
 前の車が、やむなく急ブレーキ踏んだ時は、衝突すること間違いなし。

 また、回りに全く配慮しない運転の車。
 ウィンカーを出さずに車線変更してきたり、フラフラと左右に揺れながら走行していたり。
 すぐ斜め前の車がウィンカー出さずに、こちらへ車線変更してきて、ぶつかられそうになったことが2度あります。ミラーの死角だったんだろうけど、目視もしようね。


 車の場合は、護身の意味も含めて、イヤな運転の車からは、フェードアウトするように離れるべきです。
 歩行者と違って、車同士で衝突すると、命に関わります。




 何で、こんな、どうでも良さそうなことを書いているかというと、重要なことだと思っているからです。

 一般的に、ふつうの大人であれば、イヤな人や車が近くにいてもガマンはできますし、しています。
 しかし、不快な状態を放置していますので、深層心理ではダメージを受け続けることになります。

 自分の感情が、それと気付かないまま知らぬまま、乱され続けていくのです。
 無意識の内に、自分自身がダメージを負っていきます。
 日常で、自分自身を守るために、快適な状態を維持するよう心がけるべきです。


 イヤな人や車が近くにいたら、即行でフェードアウトしましょう。

阿部道場 代表 阿部 修治


Vol.'19-07.1

 【No 0213】 [2019年07月22日(月) 21時07分41秒]

「ウチは他所と違う」



「ウチは他所(ヨソ)と違う」との文言は、自前の商品や技術を際立たせて宣伝したい時に、使われます。



 飲食店の主人が、客によく言ってそうですよね。
 客として私も、何度か、店主から言われた経験があります。

 他所と違って、材料から作り方からすべてにこだわりがあって、味も当然、別次元のおいしさ、と言いたいのでしょう。
 他所の悪口を、ハッキリ言っちゃってる人なんかもいますけど、さすがにそれは、やめた方がいいんじゃないかな。

 他所をディスって引きずり下ろし、相対的に自分を上げようとするやり方は、聞いていて気持ちの良いものではありません。食事がまずくなる。
 自分とこの宣伝というか、説明だけで、勝負した方がいいんじゃない!?





 武術や護身術なんかでも、ウチは他所と違う、という文言をよく聞きます。

 そして、「他所のやり方は役に立たない」とまで言ってしまいがちです。
 他所の悪口だけは、やめて欲しいんですけどね。

 私は、この際、一般の方が誤解しないようにするため、もうちょっとハッキリ言っちゃいましょう。
 すべての護身術は、私が紹介するものも含めて、教えてもらうやり方そのままでは、役に立ちません。



 人によって、状況、立場、体格、思考、思想が違うのですから、習った護身術がそのまま自分に当てはまるはずがありません。

 役に立つかどうかは、まさにその人次第です。
 どのように自分に当てはめて護身術を使用するか、といった部分は、自分のことを一番理解している自分で選択するしかありません。





 私のやり方というか、道場の中で、こうした方がいいんじゃない、と会員に説明したことがある護身術で、それこそ他所では教えなさそうな、他所と違う方法論を2つ紹介しておきます。



 1つは、「武器を持った強盗に襲われたら、戦おうとせず、金を渡せ」というものです。

 金が目的と分かった場合の話ですけどね。
 強盗は襲う前に、計画して準備した上、武装して突然襲ってくるのですから、こんなハンディキャップマッチを戦ってはいけません。

 特に、治安の悪い国へ行く場合は、戦わず金を渡すべきです。
 護身術は、自分の命を守ることを第一の目的とします。敵を倒すことを第一の目的にしてはいけません。

 危険な場所へ行く時は、いくらか金を入れたダミーの財布も用意しておいて、強盗に襲われたら、それを渡して和解を目指しましょう。
 って言ってる私は、好奇心で戦っちゃうかもですけどね。

 実際、道場に10年前位まで通ってくださったNさんという女性は、約10年前、個人での南米旅行中、銃を持った強盗団によるバス強盗に会いましたが、私の助言通りダミーの財布を用意していてそれを渡したため、大きな被害を受けずに済みました。
 一緒に被害にあった他の乗客達の中には、本物の財布だけではなく、財布と一緒にしていたパスポートまで出してしまった人もいたそうです。

 銃を持った強盗団から、「この袋に財布を入れろ、急げ!」とせかされ命令されたため、ダミーの財布を用意していなかったら、本物の財布を入れざるを得ない状況だったと思われます。
 そして、強盗団も、手早く仕事を終えて、サッサと引き上げたいのですから、手荷物検査などしませんので、ダミーの財布を用意しておけば、それで十分なケースなのでした。



 もう1つは、「暴漢に襲われて、護身術を行使し、暴漢にケガを負わせた場合、逃げることも選択肢に入れろ」というものです。

 ケガの具合次第では、こちらも犯罪者として扱われてしまう可能性があるからです。
 刑事上、正当防衛でセーフになったとしても、少なくとも、民事上、暴漢から金銭を請求されてしまう可能性は残ります。
 ケガの具合次第では、ぼう大な金額になるかも知れません。

 色んな考え方があるでしょうが、私の考えはこうです。
 襲ってきた暴漢が、私の反撃により、いかに大ケガをしようが、金を一切払う気はありませんし、刑に服する気もありません。
 実状は違っているようなので、私と同じ考えの人は、自身での工夫が必要になってきます。





 護身術を行使する状況は、様々です。

 結局のところ、本人が自分で、その場で考えるしかありません。
 その場でパッと思いついて行動できるように、適切な選択肢を準備しておきましょう。

 実際のところ、護身術に、絶対的な正解はありません。
 他所とは違う、自分だけの正解を、その場で導き出せるようになりましょう。

阿部道場 代表 阿部 修治